「ますけんぷの寝言」へようこそ!
「おやすみかん」時代からご存じの方、引き続きお世話になります。
管理人のますけんぷです。
まだブログを含む総合サイトを始めて1年とちょっとですが、どうにもこうにも
サイトが重い! テラ重い!
DBサーバそのものが重いのは前から知ってたのですが、それよりもDBサーバに
データを問い合わせる回数が多すぎ!
しかもプログラムが古いから、色々ガタが出てきてて・・・。
あちこち修正してました。
なので、ブログに特化したサイトとして寝言ブログを引き継ぐことにしました。
(まぁ同じアカウントのレンタルサーバなので、使ってるサーバは同じですが)
とは言え、今回も裏側を結構いじりました。
重い変更はあまり無かったのですが、まぁ私の拘りが強すぎるあまりあちこち
いじることに。
このデザインは色も含めて気に入ってるのですが、そこについてはデフォと
ほとんど変わってません。
でも裏側いじっているうちにスタイルがどんどん崩れていって、それを
維持するのが精一杯・・・てか、デザインのセンス無いし(汗)。
まぁ、そこそこ満足で、納得いってます。
またこれから感じたものとか色々ぶちまけたいと思いますので(汗)、
どうか生温かい目で見てやって下さい。
どうぞ宜しくお願いします!
何か、そう言わずにはいられませんでした。
「小惑星探査機『はやぶさ』 無事帰還」
予定よりも3年多くかかり、エンジンは4基中3基の故障にも工夫を重ね
そのうち2基を組み合わせて推進力を確保するなど、技術力云々というよりも
それぞれの関係者たちの「絶対帰還させてやる」という熱い執念を感じました。
満身創痍の探査機は、無事地上への帰還を果たしたわけです。
ここが綺麗に写ってるかも。
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100613-OYT1T00818.htm?from=top(記事は削除されました)
私がはやぶさに関心を示し始めた時にはもうほとんど旅の終わりに差しかかってましたが、
最後はPCの前にずっと張り付いて、しまいにはTwitterの「みんな、ただいま!!」の
言葉に呼応してしまうというオタク気質を発揮してしまいましたw
でも何か毎日見ても面白くないニュースが続く中で、久しぶりに私が世間から感じた、
感動的な話でした。
最後に見せた眩い光彩は、一生の輝き方を教えてくれているようでした。
傷だらけながらも帰還したはやぶさの華やかなフィナーレ、きっと多くの人たちの記憶に
留まることでしょう。
追記:はやぶさが最後の力を振り絞って撮った地球の写真
ttp://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100614-OYT1T00140.htm?from=top(記事は削除されました)
切なくてホントに泣けてきます・・・。
・・・遅れてしまった。
F1ファンなら、タイトルを見て大体内容に察しが付くでしょう。
「1994年5月1日、あなたは何をやっていたか」との問いに、30代以上のF1ファンをはじめとする多くの人が、「ああ、あの日のことは良く覚えているよ」と答えると思います。
F1ドライバーのアイルトン・セナが、この世を去った日です。
私はあの年以降、急激にF1に対する興味が薄れていったのを覚えています。
いくらF1ファン歴が長いと言っても、95年あたりから約10年間にわたり、F1に関してあまり多くのことを知りませんでした。
しかし、当時セナと最後まで戦っていたシューマッハに人間的な魅力を感じ始めた頃、再びF1への興味を取り戻しました。
1994年のF1は異常なものでした。
この年からハイテク装備が禁止されるようになったのですが、このままではウィリアムズが3連覇をしてしまいファンからの興味が薄れることを危惧したFIAは、当時チーム2位だったベネトンに対し、レギュレーション的にやや甘くすることを秘密裏に伝え、禁止されていたトラクションコントロールやローンチコントロールのテストを開幕前からしていました。
セナは第2戦パシフィックGP(岡山)でそれを見抜き指摘したのですが、その次のサンマリノGPでセナが死亡し、世の中の関心が彼の死因に集中する中、水面下でFIAがベネトンに対しシステムの取り外し、更に違反した罪を認めることを指示したことで、シーズン中盤のベネトンに対する不可解な裁定に対しチームが異議を申し立てなかったことに繋がり、騒ぎ立てられることはありませんでした。
またセナの最期の日、彼は異常な精神状態にあったそうです。
その原因の一つはその年のマシン、ウィリアムズFW16が非常に神経質だったこと。
前年まではデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの手掛けたマシンデザインとハイテク装備のアクティブサスペンションが奏功して、非常に優れた空力セッティングをもたらしました。
しかしニューウェイは元々空力的に突き詰めた設計をおこなっていたため、僅かな姿勢変化に対し非常にナーバスなマシン挙動が現れるものでした。
前年までは優れたサスペンションにより相殺されていた神経質な面が、この年になって現れる結果となりました。
更にセナは以前からステアリング径に不満があり、もっと大きなものを要求していました。
それによりステアリングの位置は低くされ、またそれによるステアリングロッドの足への干渉を防ぐため、部分的にロッド径の細いものを溶接で繋ぐことになりました。
事故の根本的な原因はこの溶接が不十分だったためと言われています。
また、プライベートも影響したと言えるでしょう。
当時セナが付き合っていたアドリアーナ・ガリストウ(現表記:アドリアーネ・ガリステウ)とは将来についても考えていた関係でした。
しかし、彼女は元彼のためにセナから金を受け取ったのですが、彼女はセナにその用途を隠していました。
その事は家族やかつてのチームメイトのゲルハルト・ベルガーにも不信感と共に知れることとなり、セナは近く彼女と別れることをベルガーに打ち明けていました。
実際彼の葬儀では、家族は元恋人のシューシャとは一緒に行動していたのに対し、アドリアーナには一切接触を持たなかったそうです。
そして、あのグランプリウィークでの様々な出来事・・・。
あれから16年。
当時セナとトップ争いをしていたシューマッハは、一旦引退を経て今年復帰しました。
ニューウェイがデザインしたマシンは、時折神経質な面を見せながらもドライバーによって最速タイムを叩き出しています。
F1は大きく変化しました。
しかし、あの時のセナの記憶は変わることはなく、一生消えることはないでしょう。
セナが魅せた強者に対する強い闘争心、勝利への飽くなき執着心、そしてバイザー越しに見える孤高の眼差し・・・。
ファンを大事にし、チームの期待以上の結果を出す、最高のドライバー。
彼の記録以上に、人間味溢れる彼の面影は、いつまでも私の記憶の中で生き続けることでしょう。
最後に、私がかつてセナ展で聞いた彼の言葉を記しておきたいと思います。
「今みんながすべき事。それは、努力する事。
努力によってたくさんの辛さや困難を経験するかも知れない。
でも、それを経験するからこそ、成功というものがあるんだ。
僕はどんなに辛い時も耐えて、そしてとうとう頂点に立つ事が出来た。
だからみんなも、困難を乗り越えて努力をすれば、必ず報われるんだよ。」
やー、半年ロクに鍛えてなかった体にはきつかったですねー。
握力が未だに復活してません(汗)。
千葉市中央区にある、「ハーバーサーキット」に行ってきました。
室内のサーキット場です。
しかも立体交差あり!
コース建設時から気になってました。
シャシーはソディーカートというフランスのメーカーのものに、GX270というエンジンを載せます。
最寄り駅の本千葉駅から1kmかぁ。今の私ならたどり着くまでに力尽きるかもね(笑)。
ちなみに今日は車です。メンバーは、いつもの3人(私、姉、甥っ子)。
ただ、今日は寝不足で、全然体のコンディションが作れてない。
おまけに偏った食事したから、何か目的地についても気分悪かったり、お腹痛かったり・・・。
カートを真剣なスポーツとして捉えている人間としてはダメダメでした。
とにかく登録して、講習ビデオを視聴。
ヘルメットと手袋を装着して、準備完了。
下調べでは、カート経験者が初めて走ったら27秒くらいで周回出来るとのこと。
なので、まずは26秒台をターゲットにしようという身の程知らずな目標を立てました。
お、アスファルトじゃないので結構滑る!
すげー、立体交差の頂上でカート自体がジャンプする!!!
ニュルブルクリンクかここは!
んー、でもうまく遠心力に身を任せて体重を外側に乗せられない。
恐くて1コーナーを全開で抜けられない(汗)。
ヘアピンでリアを思い通りに制御出来ない。
・・・あー、私ってカートあまり上手くないんだな・・・。
でも、何とかさっきの目標はクリアしました。
7分間で15周して、ベストラップが25秒823。
ちなみにコースレコードは22秒950、毎日23秒台前半は出るようです。
それを加味すると、まだまだです。
でも、24秒あたりならシミュレーション出来ます。
ただし、自分の頭に描いたようなマシンコントロールが出来たら、ですが。
で、2回目。
何かさっきのアタックでかなり疲れてる。
しかもさっきより雑になってる。
記録したベストラップは26秒476。遅くなってる・・・。
でも、何で思うように走れなかったのかは、何となく分かりました。
未だカートに対する恐怖感が払拭出来てないこと、それから体調を整えられなかったこと。
これをクリアしただけでも1秒くらい違うと思います。
反省して、また挑戦します。
・・・後部座席でグッタリしたまま帰途についたのは言うまでもありません・・・。
ハードウェア障害だそうだ。
バックアップを取っておかねば。
下の記事、書いた記憶が全くない・・・。
僅か〜な記憶で、「ウッ伏せて」の変換が上手く行かないなぁ、と思ったのがあるけど・・・。
でも能動的な記憶が全然無い。
(ブログ見て初めてそれを思い出したくらいだし)
マジで誰かにクラッキングされて勝手に書き込まれたのかと思った。
おまけにDBが猛烈に重い。
1分経っても応答がないことが頻繁にある。
お陰でブログ村のアカウントが削除されちゃったよ・・・。
アカウント削除の確認をしたメールを読んだ記憶もない。
(メーラーは既読の扱いになってた)
アモバン飲んでからが顕著に現れてる。
1ヶ月前くらいまではこんな事無かったのに・・・。
今度こそ、もうダメだ。
更新しないとな。
床にウッ伏せてから1ヶ月近く経つし。・・・動く気配なし・・・
飯は旨いんだが。
しっかし、眠かったー。
超舟こぎながらF1オフィシャルサイトのライブタイミングモニター見てました。
今回のストーブリーグは、新規参入チームでかなりゴタゴタしてましたね。
結局USF1チームは参戦の権利があったにもかかわらず準備が間に合わず、FIAからも愛想を尽かされて。
まぁ、昨年の時点で取り纏められた、次年度 −つまり今年ね− のレギュレーションにバジェットギャップ制※を
導入しようとした試みがそもそもの混乱の原因かも知れません。
(結局は2010年には適用されませんでした)
※バジェットギャップ制:まぁ簡単に言うと、予算を安く抑えられたチームにはよりレースで有利なルールを
適用出来る、というもの。
ま、そんなこんなで待望の2010年シーズンが始まりました。
今年はミハエル・シューマッハが復帰したりセナという名前が帰ってきたり(ブルーノ・セナ、アイルトンの甥)と
見所はあると思います。
今日の舞台はバーレーン。スケジュールはフリー走行2回。
1回目のフリー走行は見逃しましたが(と言ってもライブタイミングモニターでの話ですが)、2回目は
舟こぎながらw必死に追いかけました。
日本人ドライバーは小林可夢偉選手ただ1人となりましたが、途中でジャンプアップさせる走りを見せてホッ。
昨年序盤は絶不調だったマクラーレンも終盤勢いをつけ、その勢いのまま今年に繋げたという感じです。
ドライバーもバトン&ハミルトン(ハミルトン&バトンと言った方が良いか?w)のデュアルナンバー1体制
ですし。
それが仇とならなければ良いけど・・・。
また寝不足の日々が始まりそうですw
個人的にはセナに表彰台に上がって欲しいのだが。叔父の1年目がそうだったように。
母親が入院することになった。来週頭から1週間。
事の発端は、両親の旅行の初日。
羽田空港で人とぶつかり、はね飛ばされたとのこと。
相手は弁護士らしく、母親が痛み苦しんでいる間じゅう「向こうからぶつかってきました」と
ひたすら自己弁護していたらしい。
さすが商売柄だね。笑っちゃうよ。
その前に私の母親の怪我の手当でもしたらどうだい? マジでムカつくよ。
私の携帯が鳴った。父親からだった。
しかし私は気付かず、留守電にメッセージが残っていた。
1件目。「ピーポーピーポーピーポー(サイレン音)・・・・・・」。顔が青ざめた。
2件目。ようやくメッセージが入る。「母さん怪我しちゃって、病院に向かっている。」
何で? 何でいつもいつも母親ばかりがこんな目に?
とにかく、身支度をして姉と一緒に蒲田の病院へ。
手首を骨折したらしい。よりによって利き手の右手。
その後精密検査をしたところ、手術が必要と判明。
今日再検査があって、改めて手術することになった。
幸い私の体調も持ち直し始めたので、母親の手足となれるよう頑張りたい。
家と病院の荷物運び役となりそうだ。毎日お見舞いに行く。
その他にも、リウマチの治療と関係するのか腫瘍と疑わしき影がMRIで撮影された。
これについても徹底的に解明したい。
2月下旬からスパムアクセスが猛烈に来て、時間が取れなかったので
数少ない読者さまには申し訳ないけどしばらくサイト閉鎖してました。
パソコンもほとんど起動してなかったし。
ホントすみません。
スパム対策満載して復帰しました。
が、しばらくサイト閉鎖していたためスパムアクセスも無くなったようです・・・。
500系のぞみラストランにも乗れなかったし、気が付けば2月のブログエントリーはゼロだったし。
オリンピック関連で色々書きたかったのに。
あーもう。