2012年5月2日【F1】5月1日(2012年の日記)
2011年5月2日【F1】1994.5.1(2011年の日記)
また1日遅れてしまいましたが・・・。
1994年5月1日、F1第3戦サンマリノグランプリ決勝において、アイルトン・セナは
タンブレロコーナーを曲がりきれずにクラッシュし、この世を去りました。
今年の5月1日は、17年前と同じく日曜日でした。
あの日から今まで、どうしてあの事故を回避出来なかったのか考えてきました。
当時から集めてきた情報を元に、考察してみたいと思います。
あの瞬間・・・。
2010年11月15日【F1】2010年最終戦 アブダビGP
4人のドライバーにワールドチャンピオンの可能性が残された、最後にして最も重要なレースとなりました。
まる2日近く眠っていない目をこすりながらw、レースに見入ってました。
最終戦にチャンピオンがかかっているのは
フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)
マーク・ウェバー(レッドブル)
セバスチャン・ベッテル(レッドブル)
ルイス・ハミルトン(マクラーレン)
の4人。
中でもアロンソは4位以上でフィニッシュすればチャンピオンという優位性を持っていました。
2010年11月9日セナの映画観てきた
日曜にお台場のシネマメディアージュで観てきました。
・・・あまり色々書くとネタバレになってしまいますが(汗)。
純粋にレースを楽しむノリで観に行ったら、最後まで観るのに苦労をすることになると思います。
この映画では、アイルトン・セナと彼を取り囲む仲間やF1という世界の、もっと深い領域について
語られています。
2010年10月11日【F1】アグレッシブな日本人
こんなドライバー、久しぶりに見た気がします。
以前からマシンを壊すくらい(笑)攻めた走りを続けていた小林可夢偉選手。
シーズン中盤で歯車がかみ合ってからは入賞/ポイントゲットを立て続けに記録していました。
10月8〜10日にF1日本グランプリが鈴鹿サーキットで行われました。
フリー走行から予選までは思うように振るわず、チームメイトの後塵を拝すことの多かったレースウィークでした。
延期により日曜朝に行われた予選は14番手。
しかし、決勝1周目で自分のすぐ近くで起きた事故を巧みにかわし11番手。
その後もアグレッシブに攻め続け次第に順位を上げる彼の姿は、かつての日本人ドライバーには見られないものでした。
後半にソフトを選択したタイヤ戦略もぴったり決まり、彼の速さは増すばかり。
鈴鹿のヘアピンでアウトから抜くシーンは、20年以上のF1観戦歴を持つ私でもあまり記憶にありません。
私もいつの間にか握り拳をして彼を応援、順位を上げた時は思わずガッツポーズをしていました(笑)。
結果は、上位陣ではレッドブルのセバスチャン・ベッテルが優勝。レッドブルチームのワンツーでした。
そして可夢偉選手は7位入賞。
選手権を争うトップ5以外は誰にも抜かれずに得られた順位でした。
土曜の予選中止時にも観戦に来たファンへの謝罪と感謝を忘れない彼の姿。
24歳という若さや才能に驕ることのない愛嬌ある性格は、誰からも好かれることと思います。
アグレッシブさを保ちながらも、しっかりと結果を残す・・・。
将来に大きな期待を抱かせる、久々にワクワクするドライバーが出てきました。
2010年6月30日【F1】ムック本購入
本のタイトルを聞いただけで、買わずにはいられませんでした。
で、今日到着。
「セナvsプロスト」。
前方を凝視する表紙の二人の表情には、鬼気迫る強い意志を感じます。
彼らの運命の戦いが、今まさに始まらんことを物語っています。
オールドF1ファン(と言ってもマクラーレン・ホンダ時代以降)にはたまらない名前です。
歴史に残る名車を駆り、チーム内ではイコール条件、異なるチームになってもそれぞれの長所を
最大限に引き出して熾烈なトップ争いを演じる姿には、無機質なF1テクノロジーに囲まれる中で、
彼らの息遣い・感情までもが感じ取れるようでした。
現代F1には無い、人間の魂のぶつかり合いでした。
本はアラン・プロストのインタビューを中心に展開されているそうです。
セナの死の直後にも彼との関係について回顧していたプロストでしたが、今回はもっと突っ込んだ、
実際にセナと戦ったバトルについても書かれているようです。
外からは知ることの出来ない、ドライバーの“本音”です。
レース中の駆け引きなども学べるかも知れないので、じっくり読みたいと思います。
2010年5月2日【F1】5月1日(2010年の日記)
・・・遅れてしまった。
F1ファンなら、タイトルを見て大体内容に察しが付くでしょう。
「1994年5月1日、あなたは何をやっていたか」との問いに、30代以上のF1ファンをはじめとする多くの人が、「ああ、あの日のことは良く覚えているよ」と答えると思います。
F1ドライバーのアイルトン・セナが、この世を去った日です。
私はあの年以降、急激にF1に対する興味が薄れていったのを覚えています。
いくらF1ファン歴が長いと言っても、95年あたりから約10年間にわたり、F1に関してあまり多くのことを知りませんでした。
しかし、当時セナと最後まで戦っていたシューマッハに人間的な魅力を感じ始めた頃、再びF1への興味を取り戻しました。
1994年のF1は異常なものでした。
この年からハイテク装備が禁止されるようになったのですが、このままではウィリアムズが3連覇をしてしまいファンからの興味が薄れることを危惧したFIAは、当時チーム2位だったベネトンに対し、レギュレーション的にやや甘くすることを秘密裏に伝え、禁止されていたトラクションコントロールやローンチコントロールのテストを開幕前からしていました。
セナは第2戦パシフィックGP(岡山)でそれを見抜き指摘したのですが、その次のサンマリノGPでセナが死亡し、世の中の関心が彼の死因に集中する中、水面下でFIAがベネトンに対しシステムの取り外し、更に違反した罪を認めることを指示したことで、シーズン中盤のベネトンに対する不可解な裁定に対しチームが異議を申し立てなかったことに繋がり、騒ぎ立てられることはありませんでした。
またセナの最期の日、彼は異常な精神状態にあったそうです。
その原因の一つはその年のマシン、ウィリアムズFW16が非常に神経質だったこと。
前年まではデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの手掛けたマシンデザインとハイテク装備のアクティブサスペンションが奏功して、非常に優れた空力セッティングをもたらしました。
しかしニューウェイは元々空力的に突き詰めた設計をおこなっていたため、僅かな姿勢変化に対し非常にナーバスなマシン挙動が現れるものでした。
前年までは優れたサスペンションにより相殺されていた神経質な面が、この年になって現れる結果となりました。
更にセナは以前からステアリング径に不満があり、もっと大きなものを要求していました。
それによりステアリングの位置は低くされ、またそれによるステアリングロッドの足への干渉を防ぐため、部分的にロッド径の細いものを溶接で繋ぐことになりました。
事故の根本的な原因はこの溶接が不十分だったためと言われています。
また、プライベートも影響したと言えるでしょう。
当時セナが付き合っていたアドリアーナ・ガリストウ(現表記:アドリアーネ・ガリステウ)とは将来についても考えていた関係でした。
しかし、彼女は元彼のためにセナから金を受け取ったのですが、彼女はセナにその用途を隠していました。
その事は家族やかつてのチームメイトのゲルハルト・ベルガーにも不信感と共に知れることとなり、セナは近く彼女と別れることをベルガーに打ち明けていました。
実際彼の葬儀では、家族は元恋人のシューシャとは一緒に行動していたのに対し、アドリアーナには一切接触を持たなかったそうです。
そして、あのグランプリウィークでの様々な出来事・・・。
あれから16年。
当時セナとトップ争いをしていたシューマッハは、一旦引退を経て今年復帰しました。
ニューウェイがデザインしたマシンは、時折神経質な面を見せながらもドライバーによって最速タイムを叩き出しています。
F1は大きく変化しました。
しかし、あの時のセナの記憶は変わることはなく、一生消えることはないでしょう。
セナが魅せた強者に対する強い闘争心、勝利への飽くなき執着心、そしてバイザー越しに見える孤高の眼差し・・・。
ファンを大事にし、チームの期待以上の結果を出す、最高のドライバー。
彼の記録以上に、人間味溢れる彼の面影は、いつまでも私の記憶の中で生き続けることでしょう。
最後に、私がかつてセナ展で聞いた彼の言葉を記しておきたいと思います。
「今みんながすべき事。それは、努力する事。
努力によってたくさんの辛さや困難を経験するかも知れない。
でも、それを経験するからこそ、成功というものがあるんだ。
僕はどんなに辛い時も耐えて、そしてとうとう頂点に立つ事が出来た。
だからみんなも、困難を乗り越えて努力をすれば、必ず報われるんだよ。」
2010年3月12日2010年F1シーズン開幕!
しっかし、眠かったー。
超舟こぎながらF1オフィシャルサイトのライブタイミングモニター見てました。
今回のストーブリーグは、新規参入チームでかなりゴタゴタしてましたね。
結局USF1チームは参戦の権利があったにもかかわらず準備が間に合わず、FIAからも愛想を尽かされて。
まぁ、昨年の時点で取り纏められた、次年度 −つまり今年ね− のレギュレーションにバジェットギャップ制※を
導入しようとした試みがそもそもの混乱の原因かも知れません。
(結局は2010年には適用されませんでした)
※バジェットギャップ制:まぁ簡単に言うと、予算を安く抑えられたチームにはよりレースで有利なルールを
適用出来る、というもの。
ま、そんなこんなで待望の2010年シーズンが始まりました。
今年はミハエル・シューマッハが復帰したりセナという名前が帰ってきたり(ブルーノ・セナ、アイルトンの甥)と
見所はあると思います。
今日の舞台はバーレーン。スケジュールはフリー走行2回。
1回目のフリー走行は見逃しましたが(と言ってもライブタイミングモニターでの話ですが)、2回目は
舟こぎながらw必死に追いかけました。
日本人ドライバーは小林可夢偉選手ただ1人となりましたが、途中でジャンプアップさせる走りを見せてホッ。
昨年序盤は絶不調だったマクラーレンも終盤勢いをつけ、その勢いのまま今年に繋げたという感じです。
ドライバーもバトン&ハミルトン(ハミルトン&バトンと言った方が良いか?w)のデュアルナンバー1体制
ですし。
それが仇とならなければ良いけど・・・。
また寝不足の日々が始まりそうですw
個人的にはセナに表彰台に上がって欲しいのだが。叔父の1年目がそうだったように。
2009年11月3日【F1】久々に鳥肌立った
先日の最終戦アブダビGPですが。
久々に超ワクワクするレース展開でした。
今年は途中から新しいチーム・マシンに乗ったドライバーはこぞって乗りこなすのに苦労していたんです。
日本の小林可夢偉選手は、今回で2戦目のF1レース。
前回のブラジルGPでは、初参戦で大健闘の9位完走!
今回も初っぱなからフェラーリのライコネンを抜き去り、快走してました。
レース中盤。彼は1ピットストップの作戦をとることに。
それもあって、周りの2ストップドライバーはピットストップ後にガソリンタンクを重くして走る時間帯が
あったんです。
その時彼は3位。何と表彰台が見える位置まで来ました。
そして彼は、コース上の他の誰よりも速いタイムを刻みながら爆走!
国際映像でも、彼の映像だけを放送していました。
この興奮は何? このワクワク感は何?
久しく感じたことの無かった、F1での日本人に対する期待が高まりました。
表彰台は叶わなかったけど、F1参戦2戦目にして早くもポイントゲット!
今年の日本人としても初のポイントでした。
彼は期待出来る!!
攻める走り、クレバーな走りを見せてくれました。
トヨタチームの体質は好きじゃないけど、どこか速いマシンのあるチームで来年も活躍して欲しいな。
表彰台も夢じゃない!
良い気分でシーズンオフを過ごせそうです。
来年の3月開幕戦が今から楽しみです。